違うということ
この年末に日本に8日間滞在した。今回は家族も一緒に、私の両親の実家と妻の両親の実家とを訪ねた。今回の旅で、子供たちは日本に住みたいなどと言い出したが、それまではずっとアメリカで暮らすといっていたのだ。私たちはお客様として本当に素晴らしいおもてなしを受けた。皆様に心から感謝する次第である。
ところで今回日本に行って思ったことを一つ書いていおく。個人的にはとても重要なことだと思っている。それは日本とアメリカの違いである。例えば、アメリカでは本を左から右に読む。道は右側通行だから、通常どこでも右側が進む。例えば、エスカレーターは右が上に上がり、左が下ってくる。信号は日本では殆ど横だが、こちらでは縦についている。形だけではなく、考え方も違うのである。「自分だけ人と違う」というときの「違い」はこちらでは肯定的な意味である。日本では「貴女だけ違う」といえば否定的なことである。つまり、一般的にアメリカでは違うということは肯定的なことであるが、日本では否定的なことを主に考える。
さらに深く掘り下げると、そこには個人と団体という考え方の相違が見えてくると思う。例えば、オンラインで靴を販売しているザッポスは会社のコア・バリュー、つまり会社の綱領のようなものだが、その十か条は一人ひとりの立場から会社全体やお客さま、さらにはコミュニティーへと視野が広がるような考え方である。例えば「冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ」とか「情熱と強い意志を持て」「謙虚であれ」(『ザッポス伝説』258頁)等、個人の視点から始まる。ところが日本の企業、例えば世界的な企業となっているパナソニックなどでも、創業者松下幸之助氏(つまり日本人)の考えを受けた綱領となっている。「産業人タルノ本分ニ徹シ、社会生活ノ改善ト向上ヲ図リ、世界文化ノ進展ニ寄与センコトヲ期ス。」これなどは同じ個人のバリューでも、社会全体を意識した、社会の一部として、また会社組織の一部としての業務従事者の立場という流れを私は感じる。
このことがとくに善いとか悪いとかいうのではない。考え方が根本的に違うのである。日本ではお祈りするときに、神様、ご先祖様、お父さんお母さんという順番になる。ところが、こちらではお母さんお父さんから始まって、ご先祖様、そして大本源の大生命なる神様というような順番に唱えることもある。それは個人から組織そして社会へと考え方の流れが進むのであって、全体から個人へと流れていかない。私の娘達は日本語を話すが、考え方はアメリカ的であるから、どうしてもものの考え方の流れ方が自分から家族へ、そして社会、国家・地球全体となる。目標でも、日本の目標は全体像があって、それから各組織、個人の目標が設定されるケースが多い。ところが、ザッポスのコア・バリューのように、実はこちらでは個人から外に向かって物事の意識が流れていくのであるから、物事の方針でも、本当は全体の考えではなく、個人のバリューがどのように生かされるかというような観点から考慮して設定すると、全然違った内容になると思う。そんなことを試してみるのも、こちらでは無駄なことではないのではないかと思ったりもする。


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